「ポスト労働運動期における<運動型キリスト教>の活動 ―釜ヶ崎キリスト教協友会を事例に―」(発表者:白波瀬達也)
報告者:江島尚俊(大正大学大学院)
今回の研究会における白波瀬達也氏の発表レジュメは、A4用紙で9枚に及んでいた(別掲でのレジュメを参照)。この発表が、多大な時間と労力を費やした実証研究の一部であることは十分うかがえる。またフロアからの質問に対して、レジュメに盛り込めなかった事実を的確に提示し、自信を持って回答をしている姿も印象的であった。
さて、発表内容自体についてはレジュメを参照いただきたい。ここでは発表者とフロアとのやり取りの中で示された重要な問題提起(白波瀬氏にとっても、本研究会にとっても)を取り上げて、第3回研究会の報告としたい。[以下の(○頁)というのはレジュメ内の頁数である]
宗教の「布教活動」と「社会貢献」をどのように区分できるか、これは本研究会において当初からの大きな課題である。白波瀬氏は、野宿者支援を行なうキリスト教団体の性格を「伝道型」と「運動型」の二つに大別し(2頁)、前者が精神的な側面のケア、後者が物質的な側面のケアを担っていると報告した(8頁)。
この点に関し、両者を明確に分けることができるのか、という質問がなされた。これをめぐって発表者とフロアの間で幾度かのやり取りが行なわれるなか、上記の課題に対し一つの示唆深い議論が生まれたように思える。
その議論とは
①支援を提供する側が、支援を受ける側をどのように考えているか
②支援を受ける側が、提供する側に何を求めているのか
であり、
今回の報告に沿って具体的に述べれば
①について
教会が野宿者を教義にしたがって理解(ex: 福音を受けていない者、救済されていない者)するか、社会通念にしたがって理解(ex: 経済的に貧困している者、人権を侵害されている者)するか
②について
野宿者が教会に対し自らを教義的に意味づけてくれるように望んでいるのか、それとも物質的な支援のみを望んでいるのか
を「布教活動」と「社会貢献」の区分基準にしてみてはどうかという指標が提示された。これは宗教側の人間観、人間側の宗教観と言い換えても良いのかもしれない。この区分が十全かどうかは、無論、今後の検討が必須であろう。
また、そもそもこの区分自体が流動的な可能性を秘めている点について、興味深い事例が報告された。近年における労働運動の弱体化や野宿者の高齢化(4頁)は、それまで野宿者らが有することのなかった宗教的ニーズ(たとえば「魂のケア」(8頁))を呼び起こしているという報告である。
釜ケ崎キリスト教会では過去の経験から布教としての支援活動を極力控える姿勢を現在でも貫いているが、「これでは今の野宿者らのニーズには十分に応えることができない」という困惑が現場でみられるという(8頁)。このような変化にどう対応するべきなのか、これは非常に大きな問題である。
ニーズがあるからといって組織の重要な方針をそう簡単に変えるわけにはいかない。特に釜ケ崎の場合、支援活動に非クリスチャンである人も多く関わっている。また、宗教法人として支援活動を行なっている組織であればまだしも、社会福祉法人として活動している組織は建前の上では宗教的ニーズに応えるわけにはいかない。
「布教活動」と「社会貢献」という区分は非常に重要な問題であるからこそ、もっともっと議論を深めていく必要があることを改めて確認した。
以上ふたつの点について個人的な感想を述べさせてもらってきたが、今回の発表は本研究会の根幹に関わる問題提起を含んだ非常に価値のある発表だったと思う。
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