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2008年3月30日 (日)

第7回研究会のレジュメと報告(森葉月氏)

第7回研究会での森葉月氏(国際基督教大学アジア文化研究所研究員)の報告「現代における『脱宗教の宗教』の可能性を考える―インドネシアの事例から―」のレジュメと報告を掲載します。

レジュメ「mori.pdf」をダウンロード

*本レジュメからの無断引用はご遠慮下さい。引用される際には、本研究プロジェクトでの森葉月氏による報告レジュメが出典であることをご明記いただければ幸いです。

研究会報告
発表者 森葉月(国際基督教大学アジア文化研究所研究員)
「現代における『脱宗教の宗教』の可能性を考える―インドネシアの事例から―」
報告者 森葉月

 発表者は、本発表において、「宗教者・宗教教団による社会活動の実践」という視点からではなく、「宗教の教えそのものが持つ可能性」という視点から、宗教の社会貢献の可能性について検討することを目指した。具体的には、<伝統宗教の智的・精神的「資源」が、個人によって主体的に、自由に、そして有効に活用されることを通して、個人や社会の「救済」に「貢献」する方途を提言すること><宗教の社会貢献という文脈において、「脱宗教の宗教」の可能性を検討すること>を目的としている。
 云うまでもなく伝統宗教の智的・精神的「資源」は、これまでも様々な形で利用されている。しかし、その多くは「現世利益」の追求に終始している。その背景にあるのは、人々の「欲望」の肥大化であろう。欲望が膨れるままに任されている現代においては、宗教も消費財の一つとして欲望される。宗教の側も、そうした状況の中で、人びとの欲望を全肯定することによって生き残りを図っている。従来は、「欲望」を鎮める機能を果たしていた宗教の智慧は、もはや力を持たない。「宗教は多かれ少なかれひとを搾取し、反社会的な行動に走らせるものである」という見方も浸透しつつある。
しかし本当に、宗教の智慧は無力なのであろうか。そこから学ぶべき点はもうないのであろうか。発表者は、その教えには、学ばれるべき智的・精神的「資源」が、未だ多く残されていると考える。実際に、伝統宗教のエッセンスを充分に理解したうえで、そのあり方を批判的に考察することにより、「救い」「幸福」の境地に辿り着いた人々が現実に存在するからである。
 発表者はこれまで、日本の作家岩倉政治(まさじ)の思想を研究し、その宗教観=「脱宗教の宗教」(「救い」は「宗教」から与えられるものではなく、自らが主体的に宗教の教えに係ろうとする中でのみ得られるものであると説く。また、そのことを認識することそのものが「救い」であるとする)に、その実例を見てきた。今回は、更にそうした人々の事例の一つをインドネシアに求め、彼らがどのような思考と行動を通してそうした境地に至ったのかについて調査を行なった。具体的には、インドネシアの思想家キ・アグン・スリョムンタラム(1892‐1962、ジャワ思想、イスラーム、仏教、心理学、科学などに学びつつ、独自の「幸福学」を形成した人物、以下「キ・アグン」)の思想を継承し、実践している人びとにインタビューを行い、キ・アグンの思想が持つ現代的な意義を問い直すことを目指している。
 キ・アグンの思想を実践している人々は、キ・アグンの説いた、自己の相対化と自律の教えを踏まえ、kondo takon(コンド・タコン)と呼ばれる徹底的な対話を通して、人びとの生活改善を図っている。その活動は地道であるが、着実に実を結びつつあるように思われる。彼らの活動の特徴としては、差し当たり、①イスラームなど他の宗教・思想との補完性を持つ②平等主義③自主性・自律性の強調④実践の強調⑤物質主義の否定⑥内省の強調⑦対話の重視、などが挙げられる。これらの特徴がどのように有効に活用されているのかについて、より深く分析していくことが、思想構造そのもの把握と併せて、発表者の今後の課題である。
 以上のような発表に対して、次のようなコメント、質問が寄せられた。社会運動としての側面をより明確に知りたい。例えば彼らの活動の概要、社会的な位置づけはどのようになっているのか。書籍などは書店にあるのか、グループの規模はどのくらいなのか。イスラームや民間信仰との係りはどのようになっているのか。「脱宗教の宗教」の可能性についての詳しい説明が欲しい。日本の新宗教の黎明期と類似の印象がある。宗教の効用を活かしつつ、宗教に絡めとられない事例を捜そうとしているという印象の研究である。ナショナル・アイデンティティとの係りはどのようになっているのか。
 発表者の応答は、以下の通りである。キ・アグン思想の実践者たちは、キ・アグンの教えにより、基本的には組織を形成しない。活動は、緩やかなネットワークによって支えられている。そのため、明確な人数を出すことは難しいが、少なからぬ人びとが教えに触れていると考えられる。キ・アグンの著作はあるが、現在入手困難なので、人からひとへ、口伝えで広がっている。イスラームや民間信仰とは、補完し合う働きをしていると考えられる。ナショナル・アイデンティティを探っていた可能性はあると思う。その他の指摘と共に、今後の検討課題としたいと考えている。

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2008年3月24日 (月)

第7回研究会のレジュメと報告(黒崎浩行氏)

第7回研究会での黒崎浩行氏(國學院大學)の報告「地域づくりにおける参加機会創出と神社・祭礼―熊本県人吉市の事例から―」のレジュメと報告を掲載します。

レジュメ「kurosaki.pdf」をダウンロード

*本レジュメからの無断引用はご遠慮下さい。引用される際には、本研究プロジェクトでの黒崎浩行氏による報告レジュメが出典であることをご明記いただければ幸いです。

研究会報告
発表者 黒崎浩行(國學院大學)
「地域づくりにおける参加機会創出と神社・祭礼―熊本県人吉市の事例から―」
報告者 黒崎浩行

 本発表は、「宗教の社会貢献活動」というプロジェクトのテーマを、宗教者・宗教団体による社会貢献活動への主体的関与という視点ではなく、社会福祉の基盤となるコミュニティ形成に対する資源提供(櫻井治男)、あるいは福祉文化と宗教文化の接点(板井正斉)といった視点から検討するものである。
 福祉社会の基盤であるべきコミュニティの衰退に対して、伝統的なスピリチュアリティの活用による再活性化を期待する言説がある(広井良典『持続可能な福祉社会』(2006)など)。しかし、それはどのようにして可能になるのだろうか。
 実際のところ活性化の試みにはさまざまな困難がともなう。祭礼や民俗芸能に関しては、伝承者集団、行政、地元商工業界、観光業界等の諸社会集団間のせめぎあいが指摘され、また居住年数の異なる住民が混在する郊外の神社では、旧住民による再活性化の努力にもかかわらず、新住民との断絶を埋めがたいケースがある。
 ここでは、熊本県人吉市に鎮座する青井阿蘇神社の例大祭「おくんち祭」、特に平成18年(2006)に斎行された「御鎮座1200年大祭」を事例として、神社祭礼における参加機会の創出に注目し、その特徴を抽出する。
 第一の特徴は、メディア利用による再帰的なアイデンティティ形成である。御鎮座1200年大祭に向けた準備は平成12年(2000)ごろから始められ、平成14年(2002)に「人吉交流大学」というイベントが人吉球磨広域行政組合の事業として行われる。平成8年(1996)に始まった「住民ディレクター活動」を取り入れ、メディア論の研究者やビデオディレクターを講師に迎えて、祭の準備から本番まで、地域住民や学生がビデオカメラをもって取材・撮影し、これを放送した。第2回以降は民間での実施となるが、毎年繰り返され、平成18年はインターネットライブ放送が行われた。このようなメディア利用を通じて、地域の価値の発見がもたらされ、また祭りの参加者にとってもアイデンティティを再帰的に獲得することとなった。
 第二の特徴は、世代間伝承の尊重である。おくんち祭の企画運営を担う団体である青井阿蘇神社奉賛会は、高齢(60~80歳代)メンバーが中心で、若手メンバーの発言が難しい状況にあった。そこで宮司の発案により「継承部」が発足する。若手メンバーが高齢メンバーのさまざまなお手伝いをしつつ昔の経験を聞くことを活動として位置づけることにより、若手メンバーの参加による活性化を促しつつも徒弟制的な「実践共同体」(レイヴ&ウェンガー)を維持している。
 このような参加機会の創出がもたらすコミュニティ形成への期待や、その成果の実感は、まだ十分に調査・把握しきれていないが、今後運営者以外の参加者へのインタビューや、他地域との比較等を通じて明らかにしていきたい、と結んだ。
 以上の発表に対して、次のようなコメント、質問が寄せられた。「コミュニティ形成」の課題が何であるかによってそれを評価する指標も違うのではないか。参加機会創出の第一の特徴に見られたアイデンティティの形成が主観的なものだとすると、それに対応する客観的な関係性はどのように変化し、またそこにメディアを利用した活動はどうかかわっているかが明確でない。祭の担い手にとっての「正統的周辺参加」のメリットが何であるかや、地域に対する思い・覚悟を具体的にとらえてほしい。祭りへの参加機会の「創出」ではなく「喪失」と言える事態が各地で起こっており、それは社会構造の変化によるものであって、今回とりあげられた試みがそれをどれだけ埋められるものなのか。今後、祭りの担い手までも外部から受け入れるといったことが起こりうるのか。いずれも、今後調査を継続していくなかで応えていきたい課題として受け止めた。

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